世界同時性の法則 2009.04.29
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From Harbor |
小さいころから飛行機がすきだ。飛行機雲もすきだ。
地元に住んでいたときは飛んでいる飛行機を空にみることなんて本当にまれで、飛行機雲も見つけたらうれしくなってばしばし撮っていた。今でもつい反射的に撮ってしまう。トロントはすぐ近くにたくさん空港があるから珍しくもなんともない。
飛行機は世界同時性の象徴だった。高い高い空を飛んでいる飛行機をみると、ああわたしの及び知らぬところまで世界はつづいており、わたしの知らないひとびとが暮らしており、わたしの知らない思惑で動いているのだということが実感できた。わたしの生まれた町はちょっとした盆地のようになっていて、三方向くらい山だった。山の向こうに伸びて消えていく飛行機雲を眺めては、「世界の同時性」(自分用語)に思いを馳せた。
5年くらい前だが鮮明に覚えているCMで、「○○くんが学校で授業を受けているとき○○くんのお母さんが台所で料理しているとき○○くんのお父さんが会社で一服しているとき○○くんの…」というふうに次々いろいろなひとの生活の一場面が写されて、「いつもそこにJT」みたいなものがあった。そんな感じの想像をもっと壮大な規模でした。
我が家には旅行という習慣がなかったので、はじめて石川県を出たのは小学6年生で、しかも行き先は隣県富山の親戚のうち。初北陸脱出中学の修学旅行。東京にはこないだはじめて行った。そんなこどもが、どうして本やテレビで見聞きするだけのアメリカや宇宙の存在を信じられるだろうか。全部誰かのついた壮大で精密な嘘で、精巧で微細な特撮でないとどうやって納得できるだろうか。
東京は特撮ではなかった。ほんとうにビルがいっぱいあって、ひとがうじゃうじゃいた。トロントは特撮ではなかった。ほんとうにCNタワーがあって、いろんなひとがうじゃうじゃいる。
そんな風にひとつひとつ世界を確かめて、あー世界はこんな風になっているのだーと納得するのはいつになるだろう。からだと気力の続く限り、確かめ続けたいと思っているのだけれど。
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