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きょうようとはなんぞ 2009.03.02

   oyako     oyako2

家庭教師をしているため、じぶんの大学の過去の入試問題をあらためて読む機会が多いのだけど、これがなかなかいい問題が多くて感心してしまう。野上弥生子の息子にあてた手紙なぞ、とても素敵で、うちの大学のセンセイ方が「教養」という言葉に込める思いをみるようだ。歴史小説はあんまり好きでないけど、ほかの野上作品も読んでみたくなった。
関係ないけど弥生子っていい名前である。娘につけたい。ちょっと読みにくいけど。


若い溌剌とした感受性と疲れを知らない理解力であらゆることを知り、探究し、学びとることは、まことにあなた方に課せられた、またそれゆえにこそ意義ある愉しい征服ではないでしょうか。それとともに忘れてはならないのは、あなた方の吸収した専攻学科の知識をただそれだけの孤立したものとしないで、人格的な纏まりのある一つの立派な教養にまで押しひろげるように心掛くべきだということだと信じます。

それではなにが教養かということについてはいろいろ複雑な規定を必要とするでしょう。しかし最も素朴な考え方をすれば、知識が単に知識として遊離しないで総合的な調和ある形で人間と生活の中に結びつくことだといってよいだろうと思います。

(中略)

――はじめ私は教養を素朴に規定して知識が単に知識として遊離しないで人間と生活の中に総合的な調和ある形で結びつくことだ、といったと思いますが、ここでもう少しくわしくいい直して、人々がよい教養をもつということはその専攻した知識を、もしくはさまざまな人生経験を基礎としてひろい世界についても周りの社会に対しても正しい認識をもつとともに、つねに新鮮で進歩的な文化意識に生きることだというところまでその円周を押しひろげたく思います。またそうすることによって教養が人間性の完成にいかに深い意義をもつかを証明することが出来るのですから。働いても働いても食べられないというような人間をなくするばかりでなく、耕地で土塗れになったり、工場で綿埃をあびたりしている男たちや女たちが、仕事着を脱いで一服吸いつけるときにはどんなに高い知識や文化についても語り合えるような教養人になってこそはじめて立派な進歩をした社会といえるのではないでしょうか。
                    (野上弥生子『ローマへ旅立つ息子に』昭和11年)


そりゃ今の時代全面的に賛美はできないところもあるけど、素敵なおかーさんだなぁ。70年以上まえの文章です、これ。

コメント

以下、松岡正剛さんの千夜千冊からの引用

==========ここから==========
有閑夫人ばかりと付き合うご婦人連にも辛辣だった。岡本かの子、藤浪和子、生田花世と会食したあとの日記には、「かういふ人に逢ひ知己になると云ふことは、自分の生活には余計なことのやうな気がする。下らないお饒舌とひま潰しをするだけである」と書いた。
 そんなことなら、好きな鼓を打つか(ずうっと鼓を打っていた人である)、能を観ているか(豊一郎は日本有数の能楽研究者)、それともドイツ語などを勉強しているほうがましだったのだ。日記には、79歳でドイツ語に再挑戦を始めたと出てくる。

 こうした価値観の野上弥生子を支えているのは、すばらしい知性の持ち主に対しては勇気をもって脱帽する、そのことを黙っていないで表明する、ということである。
==========ここまで==========

これを読んで、fumico 氏の "トロントの京大生(http://fumicom2356.blog73.fc2.com/blog-date-20090523.html)" のエントリ思い出しました。

著者が京都の人かどうかは知らないけれど、京都の居心地の良さって、こう、なんていうか、"私はそれよりこっちの方が好きだから" っていうのが "ふーん、そうなんだ" といい意味で自分は自分、他人は他人、と流してもらえるところかなと思っています。で、たまに興味が重なる人がいると、袖触れ合うも他生の縁かも? と仲良くなる :-)

ちょいとコメントでした。

2009.06.03 | URL | akipponn #OARS9n6I [ 編集 ]

Oh, no. I forgot to paste the URL:

http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0934.html

# 日本語で Oh no にあたる表現って何なんだろう、ああ!!しまった! とか やってもうた! とかなのかな ;-)

2009.06.03 | URL | akipponn #OARS9n6I [ 編集 ]

おおおおおもしろい!素敵インフォありがとうございます!
『秀吉と利休』も結局「歴史小説苦手だからなー」などと言って読んでないんです…いかんいかん。とくさんに日本の本を送ってもらうので、手始めに文庫の短編集1冊手に入れます。加賀乙彦編というのもすばらしい!『海神丸』も…いずれ…(勇気が出ない)。

当たり前ですが、「自分は自分、他人は他人」と言うためには「自分」がちゃんとしてないとダメですよね。わたしが迷う理由はそこかもしれない、と思いました。野上先生への道は遥か遥か…
>(松岡氏による要約のほうですが)女性は一途で多様な知性を真ッ正面から内部化し、これを次々に透明な表明によって生きていくこと、そのためには何を捨てるか、何を切り捨てるかという覚悟をもちなさいということ
いやー難しいですって…ね…

それにしても中勘助とのロマンス知らなかったです…。『銀の匙』も入試の過去問がきっかけで読みました。



Oh, no!! 気分が近いのは「あちゃー」あたりでしょうか…(^^)

2009.06.03 | URL | fumico #3jISyIMY [ 編集 ]

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