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どこのだれがなにをここで 2009.06.13

 3日前、コメント欄に突然広告の書き込みが入った。「36歳フリーターの俺が人妻と!」という類のやつだった。4桁の数字を入力して別画面で送信するという、まともなコメンテーターにとってもめんどくさい設定を乗り越えてきてくれたのか、と思うと感慨深い…はずもなく、心底うげーっと思った。すぐさまホストをブロック。

 「俺」と一人称で書かれ、「ブログにコメントする」というそれ自体きわめて個人的・一人称的な行為でありながら、まったくと言っていいほど行為者が見えないこの感じ、実にきもちわるい。どこのどの「俺」だっていうんだ…。

 そこいら中で目にする広告だし、部の掲示板の管理などしていたときも山ほど粉砕してきた種類の書き込みなのだけれど、こちらがある程度自分の生身の情報を晒してやっているブログである以上、あたかも自分が攻撃されているような気分にもなる。結局どこも変えなかったものの、公開している個人情報をざっと見直した。

From Luminato


 以前も書いたけれど、ウェブの情報って非常に人間臭くてそれだけにおそろしいところがあると思う。

 それでも、そうした事情やネットの中で自分が置かれる状況を理解した上で、自分で自分の情報をきちんと発信していく必要性を強く感じている。特にブログを始めてからいっそう。なんぼウェブ以前の時代を懐かしんでみても、いわゆる情報化社会を嘆いてみても、インターネットという道具の登場で開けた世界は止まらない。そして多くの側面でわたし自身もかなりの益を享受してもいる。はっきり言って、ネットがないととてもとても困るのだ。

 それならば、ネットの世界にどっかり腰をおろして、自分で自分の情報のイニシアティヴを握ることが肝要になってくるのではなかろうか。匿名なり、ネット上だけの存在である誰か、という立ち位置で振る舞い続けることももちろんできるし、そうしたスタンスも選択肢としてあってよいと思うのだけれど、わたしのこれまでと今とこれからの活動の性質上、そうした"分裂"をしないでやっていくほうがよい。自分自身の名前で責任を負わないと書けない(書きたくない)こともたくさんある。

 それに、うかうかしていると、簡単に情報発信できるこの世界で、誰かに勝手に自分のことを語られてしまう危険性があるということも大きい。勝手に「書かれた」経験の記憶は未だに鮮明(過去のエントリ参照)。本名を漢字で検索すると勝手に書いてくれちゃったブログの記事が出てくるのだから。わたしの情報なのに…。ひとに曝されるくらいなら自分でやったるわい、という意地もないではない。

 思いどおりにならないからといって厭世的にネットから距離をとるという選択肢は今のところない。この時代に生まれてしまったからにはこの便利さを放棄するのも嫌だし、きもちわるいなーと思いながらなあなあに続けていくのも嫌だ。能動的に自分で動いていくのがいちばん性にあっている。

 人類学に限らず、忙しいなか自分の情報を自分でがしがし梶取っている研究者の先輩はたくさんいる。悲しいかなわたしには発信していく成果がそれほどないのだけれど、姿勢を倣っていかなくては。

(このあたりの、なんというか、「巨大なシステムの中で、単なる被抑圧者としてではなく、したたかにちゃっかり生きちゃってる人間のいとなみ」に魅力を感じてしまうところ、わたしの人類学者としての代表作(?)である『コンビニ人類学』の概要をご存じの方にはご理解いただけると思う)

 

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