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トロントの京大生 part2 2009.05.23





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(2006/12/14)
ジョルジュ・ゲタリレスリー・キャロン

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 腐っても(←「そう腐るなよ!」という用例の方の意味)京大生なので、もうすこしうじうじ考えて書いてみる。
 キョウダイセイとして壁を作られることが殊更にかなしいのは、そもそもいまいちキョウダイセイになりきれなくてここにいる、という個人的事情(今やあらゆる事情が個人的と言ってもいいけれど)があるからだ。よけいに、何も知らんで言いやがってよーと思ってしまう。


キョウダイセイとしてのアイデンティティの葛藤個人史。京都大学という場所はわたしにとって、

・田舎からなんとか這い出て入ったものの
 (不思議に勉強ができてさらりと入ったわけでも、こてこてにお金をかけて受験勉強してきたわけでもなく、ありきたりな泥臭い努力と多大な運で入ってしまったのだ)

・とはいえやっぱり自分に合っているなぁと思う
 (出会ったひと、大学の環境、学問という営み、人類学という分野。こういう場所で生きていきたい)

・その一方でほんとにすごいと思うひとに対して引け目みたいなものもある
 (自分は根本的に凡人だと思っているので、一緒にいていいのかしら、という…)

・そのため少しでも追いつこうとまぁまぁ勉強などしてきたわけだし
 (やり残しはあるものの、なかなかぎゅうぎゅうに充実した2年間だった)

・それでもなんとなくこのまま進んで行ける気がしなくて、出てきてしまった
 (休学して、いわばモラトリアムな具合に)

 という場所だ。うん、書き並べてみるとなかなかにしょっぱい。

 
 ところがところが(←この口癖の持ち主に非常に非常に会いたい…)、一部のひとさまからはキョウダイセイといえば、キョウダイセイというだけで、
・頭がいい
・家が金持ちである
・苦労を知らない
・曇りのない将来を嘱望されている
・「できない」という気持ちがわからない
というように見えると、実際に複数のひとから言われた。

 このようなイメージの持ち主に、わたしが前エントリのような扱いを受けると、コンプレックスとコンプレックスの正面衝突でまったくもって不毛である。このコミュニケーションの荒野を打破しないことにはまともなやりとりが始まらない。



 そんな悩みの起こりようのない、すぐさま楽しく話ができるひとだってたくさんいるのだけれど、それでも逃げないことにしたのだ、今は。




コメント

天才についていける凡人、という存在ほど
天才にとってありがたいものは無いと思う。
…と、ある種の天才とつきあっている凡人の私は思うのであった。
天才というのは孤独なのであるよ。
「かしこいキョーダイセイ」がそうであるように。

2009.05.25 | URL | かじ #- [ 編集 ]

京大のなかでのパンピーの孤独と、一匹キョウダイセイとしての孤独に挟まれてくるしゅうございますよ…
「われわれは互いが"わからない"と"わかりあえない"のか!?」という実にナイーヴな疑問に戻ってきて悶々としてます。関係なく楽しく過ごせる時間も、もちろんたくさんあるわけですが…

しかし、こないなことでしんしんと悩めるのも暇あればこそですよね。読み返してあきれてみたり…

そんな不毛な悩みにコメントありがとうございますm(_ _)m

2009.05.25 | URL | fumico #3jISyIMY [ 編集 ]

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