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ミートソースとその周辺 2009.05.12

 ミートソースをつくった。
From Days

みじん切りしていると顔にびしばししぶきがかかるくらい水分の多いパプリカ

From Days

にんじんをすりおろして入れればとろみ粉不要。


 母の十八番で、いつもなにかとあるとつくっている。台所に火があるのはいいことだというのが口癖で、金時豆とかシチューとか、とにかくずっとことこと煮ている料理が好きなようだ。

 ミートソースをつくろうという気になったのも、母からメールが来たからかもしれない。
 
 内容上ちょっと迷うところもあるのだけど、一部引用(名前部分のみ改変)。

 4月から相談所(註:職場の児童相談所)に戻り、家で殴られ続けてきた子どもや、殴り続けてきた親と出会います。どうしてこういうことになるのか、これしか出来ないのはなぜなのか、毎日のトラブルの中、問い続けています。殴らないで、誰かが作ったものを囲んで食事をするのは、なかなか難しいことなのですね。土曜日は出勤するつもりだったので、焼きサンドを作り、朝、R(註:fumico弟)に食べさせたら、にっこり笑って「おいしかった」と言ってくれました。単純なお母さんは、今日も一日いい日だと思いました。そんな平凡な日々が続きますように、fumicoがカナダで元気で過ごせますようにと祈っています 。   母より


 ところで。

 人類学と「食」の高い親和性の歴史の中でも、どちらかというと「食」を定量的データ・計量可能なものとして扱う趨勢が長かったと思う。確かに「食」とその周辺は、「とにかく数えよ」という生態学・生態人類学の手法の格好の材料になりうる。

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 いっぽうで、「風景」としての「食」とでもいおうか、数量にあらわれない意味をもった「食」(「食文化」というくくりではなく、あくまで個人や世帯の単位で)についてもどんどん考えられるようになってきた。

 前者と後者は、おなじ「食」をあつかう異なるアプローチであるにもかかわらず、「それはそれ、これはこれ」という棲み分けがある気がする。(あんまりしっかり勉強していないので偉そうなことは言えないものの…)

 定量的データと観念的解釈を、まったく別物としてではなく、おなじ「食」のいくつかの側面として止揚してあつかうことはできないのだろうか。

 「生態人類学者は思想闘争をサボった」という某先生の痛快コラムを思い出す。けれどそんなことを大きな声で言えるのは先生が生態学の道を通ってきたゆえにこそだ。文化人類学者も、確実に何かをサボってきたのだから。





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「食」キーワードで頭のなかにヒットするところといえば(思い返せば結構あるけど…)このあたり
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